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ベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」名盤探訪②:ベームとクレメンス・クラウス [ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス]

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 カール・ベームの死後、その評価はどんどん凋落の一途を辿っているようだ。

 LPやCDをにぎわせた彼の名盤はどんどん品数を減らし、ウィーン・フィルを振ったベートーヴェンの交響曲全集は単独では手に入らない。

 オペラはいくつか残っているが、しかしながらあれだけわが国でも愛された巨匠がこれだけ不人気になった理由はなんだろう。

 タガが緩んだ、とか、緊張力に欠ける、とかいろいろ言われた晩年。

 もっとも、彼が全盛期に録音したものでさえ、首を傾げるものがある(たとえば、DECCAに録音した「魔笛」。ウィーン・フィルとの録音であるが、どこが良いのかさっぱりわけわからん)。

 しかしながら、ちょっとベームに対する市場の評価は低すぎる感がある。

 kitakenがベームのことを採り上げるのは、これが初めてです。

 カール・ベームのミサ・ソレムニスは、ベルリン・フィルを振った1955年の旧盤と1974年のウィーン・フィルとの新盤がある。

 世評は、ウィーン・フィルの新盤は吉田秀和氏が痛烈に批判したこともあって、あまり芳しいものではないようだ。

 ベームを聴くなら、旧盤、ということになるのだろうか。

 kitakenの意見としては、どちらも素晴らしい名演奏である。

 ウィーン・フィルを振ったものは、ベームならでは重厚でスケールの大きい名演。テンポが遅いといっても、クレンペラーを聴ける人には苦にはならないレベル。グローリアやクレドはむしろとても心地の良いテンポだ。早すぎず、遅すぎず。

 メリハリがない、という意見にも反対で、グローリアのティンパニのずっしりとした叩かせ方、キリエの重厚な合唱の厚み、クレドの内容をたっぷりとはらんだオーケストラの響きなどは、旧盤よりも素晴らしいと思っている。

 合唱は時代がかっているが(女声のポルタメントや音程の悪さが若干耳につく)、ウィーン・フィルの透明で、引き締まって艶のある弦が今まで聴いたことのないような音の絡み、ニュアンスを生んでいる。

 マーガレット・プライスのソプラノは、嫌う人もいるだろうが、極端なヴィヴラートをきかせない落ち着いた威厳が見事だし、ルードヴィッヒのアルトは申し分なく深い。バスのタルヴェラも人が言うほどひどくはない。アニュス・ディの深い詠嘆は聴かせると思う。

 厳格で荘重な雰囲気ではあるものの、聴いている間の音色の美しさや繊細な情感、多彩なニュアンスなどはむしろ癒しとも呼べそうで、直接的な訴えかけよりも、噛めば噛むほど何とやらの世界である。 

 闘うベートーヴェンの姿は、ウィーン風に、気品のあるヒロイックな姿として描かれている印象だ。確かにことさらに効果を狙ってはいないため、人によってはのっぺりしているという評価を持たれるかもしれない。クレンペラーは細部や絶妙なテンポに凝っているので、メリハリを感じさせるが、ベームはもっと自然体である。

 ベルリン・フィルとの旧盤は残念ならが、モノラルで、打楽器の音がぽんぽんしている。その反面、弦が生々しく、オーケストラがずいぶん筋骨逞しく感じられる。

 合唱団は、聖ヘドヴィヒ大聖堂聖歌隊で、これは明らかに新盤のウィーン国立歌劇場合唱団を超越している。至純な歌声、特に女声の清らかな歌声は、真実の祈りに満ち溢れており、新盤にはないベームの気合の入った快速テンポと相まって、より万人向きの演奏となっているように思った。

 Kitakenなら、どちらを選ぶか、というと、やはり新盤。ベームにしかできない世界という点で、そしてウィーン・フィルということもあって。

 ウィーン・フィルといえば、クレメンス・クラウスとのライヴ盤があるが、あれはアンサンブルの雑な演奏でした。もっとも、その雑さ加減はクレメンス・クラウスの味で、ベートーヴェンらしさではないのかもしれないが。古き良き時代を感じさせてくれたりはするのだけれど。

 カール・ベーム/ベルリン・フィル (1955)    ★★★★

 カール・ベーム/ウィーン・フィル (1974)    ★★★★☆

 クレメンス・クラウス/ウィーン・フィル           ★★      

 


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