ベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」名盤探訪③:アーノンクール、ガーディナー、ノリントン [ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス]
今、『ベートーヴェンの思い出』(G・ブロイニング著、小柳達夫、小柳篤子訳(音楽の友社))という本を読んでいる。
著者のゲルハルト・ブロイニングは、ベートーヴェンが親しく交わったブロイニング家の家人であり、ベートーヴェンの親友の息子である。
少年時代は、病床のベートーヴェンを毎日のように見舞っており、100周年の生誕を祝して、ベートーヴェンの思い出をしたためたのだ。
「ベートーヴェンは服装については全く無頓着であったため、街を歩いているとき、その様子はちょっと異様な感じを人びとに与えた。たいていの場合は楽想にふけってそれを口ずさみ、ひとりのときはよく腕まで使って拍子をとりながら歩いていた。」
「ベートーヴェンは5フィート4インチ(約160センチ)をほとんど越していなかった。頭は異常に大きく、前額は高く広かった。眼は小さいが、楽想が頭に沸いているときはこの眼は突然異常に大きく膨張した。こうした時彼はいつも下唇を少し突き出して上のほうを眺め、その眼をくるくるさせ、きらきら火花を散らすか、さもなければ瞳をこらしてまっ直ぐ前方を見つめているかするのであった。そのとき彼の体は見るから霊感と威厳とを現わし、その姿は巨大にそびえ立つかのように思われた。」
「一定の型にはまった音楽家にとっては、法外な新しい創造へ十分理解してついて行くということはいかに困難であるかということを、私は1863年にシンドラーが言った言葉で悟った。彼はベートーヴェンの作品を理解するのにもっとも多くの機会を持った人である。私は、
「『荘厳ミサ』をどうお考えですか」
と聞いた。すると彼は、
「立派な曲です。今まで書かれたものの中で最も天才的です。ただベートーヴェンが<アニュス・デイ>のところでトランペットの挿入を消さなかったのは失敗ですね。あれは邪魔になります」
と答えた。そこで私はさらに、
「それをやめることをベートーヴェンに言わなかったのですか」
と聞くと、
「あなたも知ってのとおり彼は自分の作品にけっしてひとことも言わせません。作品が完成するまではちらっと見ることさえ許しませんでした」
と答えた。
しかしあの場所はあのままでいかに偉大で立派であることよ!トランペットの部分を除くなんでとんでもないことだと私は思う。」
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・・・・私もそう思う。むしろ、私は『荘厳ミサ曲』の全曲中で、一番あの部分が好きなのだ。トランペットのファンファーレとともに、打楽器が強烈なリズムを刻む。ベームやカラヤン、クーベリックでは軽すぎ(それでも、ベームには味がある)、ワルター、クレンペラー、バーンスタインは強靭で凄まじい迫力である。
もっと野性味を帯びているのは、アーノンクール盤である。大ヒットになったベートーヴェンの交響曲全集の後に録音されているが、シンフォニーよりも格段に素晴らしいと思う。
アーノンクールは長いこと苦手だった。
ポネル演出のモンテヴェルディ三部作の一部(『ポッペアの戴冠』)をyoutubeで視聴、そのサウンドトラック盤を入手して、その芸術性に触れた。
最近では、ヘンデルの『メサイア』を聴いて、凝りに凝った表現に戸惑いを覚えつつも、自らの信念を音にしていく力量とこだわりに、圧倒された。
ベートーヴェンは何故か感心しなかった。正確な音程、アンサンブルの緻密さ、これは良いのだが、金管の暴力的な強奏(特に、5番の終楽章)が耳に痛く、熟しきれない酸味の強い果実のような印象を受けた。
アーノンクールは宗教作品が素晴らしいようだ。モーツァルトの宗教曲作品全集も、宇野功芳氏には批判されているが、合唱も清澄、オーケストラも敬虔な祈りに満ち、やや豪華な雰囲気を漂わせるあたりも、私は好きだ。
このミサ・ソレムニスも素晴らしい演奏である。
金管は強奏されるが、むしろ敬虔な祈りの中に、ベートーヴェンの荒々しい魂が輝くようだし、合唱の清澄なハーモニーも立派、4人のソリストも素晴らしい。
キリエのテンポは遅いが、少しも嫌ではない。グローリアは壮麗、しかし、重厚さはない。終結のワルターそっくりのアッチェレランドはなかなかスリリングだ。クレドやベネディクトゥスも内容たっぷりでありながら、爽快である。
合唱にも細かな指示を与えているのだろう。今まで聴いたことがなかったようなニュアンスが豊富である。
アニュス・ディはもっとも感動的で、例のトランペットのファンファーレや野蛮さがあって、素晴らしい。
全体としては古楽器系の演奏(金管、打楽器は古楽器)だが、スケールが大きく、こじんまりとした印象のガーディナーよりよほど感動的だ。
ガーディナーはアーノンクールと違って、交響曲のほうが良いように思う。
復古的なスタイルといえば、ノリントン盤もある。
ノリントンのは、芸達者なソリストとコーラスの歌心が良いのだが、こういうスケールが大きく、真実の祈りに満ちた大作になると、ノリントンのノン・ヴィヴラートへの偏向が鼻につき、耳につき、べったりとしたオーケストラが台無しにしているような印象を受ける。
もっとも、こういう音楽なのだ、と思えば楽しめるが、一度聴けば十分、という感想だ。
アーノンクール/ヨーロッパ室内管弦楽団 ★★★★
ガーディナー/イングリッシュ・バロック・ソロイツ ★★
ノリントン/シュトゥットガルト放送響 ★★★☆
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