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ラトル/ベルリン・フィルによるベートーヴェンの交響曲全集 [ベートーヴェン:交響曲]

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安いとは言えない豪華愛蔵版仕様のベルリン・フィル自主制作シリーズに、サイモン・ラトルのベートーヴェンの交響曲全集が加わった。

来日公演のチケットの販売方法やら価格に関わることまで、SNSでは批判や辛辣なコメントもあるが、演奏が良ければ私は許す。

まず、録音。十分に合格点。しかし、今一歩、解消度の高い生々しい音の録り方はできなかったか。アーノンクールのシューベルトのほうが音楽的で良い。あれは、ベルリン・フィルによる録音ではなく、Teldecによるものだったからか?何となく、オーケストラの音がホールトーンに影響されているように感じる。

ラトルがやりたいこと、ベルリン・フィルが表現していることが、時にもっさりとした印象で聴こえてしまう。レコ芸では「透明感を増した」とあっだが、ウィーン・フィルとの旧全集の方がもう少しクリアーだ。

演奏。誰もまだ批評していないので、結構マニアックに書いてみよう。

ベルリン・フィルの音は、もはや無国籍の肥大気味なヴィルトゥオーゾである。アバドが振ると、流麗なのは良いが、そこにコチコチした硬さが出る。ラトルはふっくらと鳴らす。音色はシルバー系に、ほのかな温かみがある。冷たい音にしないのが力量の高さを伺わせる。

肥大した図体に、禁止薬物(ドーピング)を打つことによって普段ないパフォーマンスを生み出させるようなのが、1番、2番。特記するほどの珍しい演奏表現ではないが、オーソドックスで、ティンパニを雄弁に鳴らした小気味良いスタイルだ。一番のメヌエット、終楽章など、キリッと引き締まっていて、機敏。

3番。冒頭の号砲2発は、ウィーン・フィルとのが命がけの名勝負だったが、ティンパニは柔らかめ(マレットを変えている?)で、全体としても推進力がありつつも、柔らかく穏当な印象。

ラトルはアゴーギクやデュナーミクを駆使し、変わった楽器間のバランスを出しているが、オーソドックスな解釈の中に新味が混じったようで、1楽章は、最初聴いた時は、素直な感動にはつながらなかった。コーダなど、あざとい。それでも、どんどん音がうねるようにドラマティックになっていくし、2楽章には真摯な訴えがあるし、4楽章もおおらかで健康的な変奏の流れができていて、さすがだなと思う。

聴いていて、何だか楽しいな、と感じた。

そうなんだ。健康的なベートーヴェンで、深刻さや哲学的な深みは感じないのだ。でも、楽天的とはまた違う。不思議と楽しい。それは、奏者も刺激を受けながら、楽しんで演奏しているからだろうか。

4番、5番、7番、9番は、特に出来の良い演奏だろう。4番はアタック一つとっても、攻撃的であり、推進力の強さもあって、有機的な響きがいつも鳴っていることに安堵する。終楽章はクライバーを意識しつつ、さらに新たな何かを生み出さんとするクリエイティブな姿勢を見る。

5番は、ウィーン・フィルのも名演だったが、もはやピリオド・スタイルなど微塵もない、現代楽器によるベーレンライター版での巨匠的演奏として完成している。ハイティンクのSACD全集も良かったが、あそこまでティンパニが下品にならないところに、趣味の良さを感じる。1楽章コーダも強弱の波は大人しくなり、フィナーレは抜群にエスプレッシーヴォ。

7番は、ラトルにはいまいち相性が合わない曲だと思うが、終楽章は随分手練手管を駆使して、苦手なリズム感を我が物とせんとする意志の強さを感じる。

7番には、田園交響曲に通じるベートーヴェンの晩秋の魅力があると思うが、ラトルの解釈はひたすら闘争的であり、音に濁りを感じせるくらいにマッシヴである。ステロイドを打って巨体を俊敏に動かそうとする感がある。

田園交響曲は、さして感心しなかった。ちょっとした細部のこだわりが、音楽の持つ魅力を底なっているように思うし、ベルリン・フィルの音がそれほど美しくないというか、贅沢な不満かもしれないが、暑苦しい。

9番は、ラトルの十八番なのだろう。1楽章もスケール感があり、ダレることない雄渾の演奏で、打楽器も金管も気持ち良くなる。主題掲示がやや流線型になった印象があるが、再現部冒頭の凄まじさが吹っ飛ばしてしまう。

2楽章も雄弁で、リズム感も良い。3楽章はやはりテンポ指定を無視して、ゆっくり歌う。これでいいのだ。やりたいようにやりたまえ!

4楽章、金管を最後まで吹かせているように感じたが、スコアを変えているかしらん?7番ではコントラファゴットを加えているくらいだから、さもありなん。

オーケストラだけの部分は雄弁で、歓喜主題の盛り上げも、ウィーン・フィルのときのちゃっちい印象がなくなった。イワシェンコはなかなか良い声質だが、やはり若干アドリヴを加えている。今流行りだからねー。

コーラスは、バーミンガムの合唱団と違って、品が良く穏やかで、語るより歌う。ただ、プレスティッシモで、女声にヴィヴラートがかかるのが残念だ。

解釈は旧全集と変わらないが、今回の演奏では、変わった表情付けがかなり目立たなく展開されている。それをラトルの円熟と見るか、変節と見るか?

さて、二重フーガのリズム感も良く、Bruder!の雄叫びも相変わらず。コーダでは、いつも通り「イリージウム」のあとにアッチェレランドを加えたあとに「フロイデシューネル、ゲッテルフンケン、ゲッテルフンケン」と持って行き、オーケストラだけのラストのテンポはゆっくり目。ただし、大太鼓、シンバルの音の打ち方には新しいこだわりがある。

満足か?と問われれば、面白かった。
名盤か?と問われれば、話題作。
買って良かったか?と問われれば、然り、と答えよう。

諸手を上げて絶賛する批評家があるなら、ラトルの解釈のひとつひとつの妥当性をつまびらかにした上で、読者を説得せねばなるまい。その意味では、私には諸手は上げられぬ。

一音楽ファンとして、十分に楽しめた。映像も楽しみ。ハイレゾもいいが、CDの音も悪くない^_^


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