2009年の初聴きは? [ウィルヘルム・フルトヴェングラー (cond.)]
謹賀新年
旧年中は本blogをご訪問下さり、ありがとうございました。
本年も何卒よろしくお願い申し上げます。
さて、皆様の初聴きは何でしたか?
私は、と言えば、自分でも意外ですが、フルトヴェングラーです。
大晦日はダウンタウンの番組や紅白をちらちらと眺め、家族水入らずで過ごしておりました。
その後、親友と会い、午前三時ごろに初詣。
誰もいない不気味な寺で開運祈願を済ませ、奇蹟的に営業していた場末の小汚いラーメン屋でラーメン。
朝起きて、年始のご挨拶。お雑煮を食べた後、何故かフルトヴェングラーを聴きたくなった。
ラーメン屋の店主がなかなか感じのいい人で、しかも全く期待していなかったラーメンがうまくて、「ラーメン界のフルトヴェングラーだ!」と思ったからだった(←大嘘)。
フルトヴェングラーの指揮したベートーヴェンの英雄をいくつか聴いてみた。
で、今回とびっきり感激したのが、WINGというレーベルから登場した1947年の録音。
これは日本フルトヴェングラー協会が「グレード・アップ・シリーズ」という商標で市販したもの(WCD 200)であり、1947年にフルトヴェングラーがSPに録音したスタジオ録音である。
SPからの復刻ではあるものの、ノイズも少なく、何より、輝かしい高音の艶と弦の厚み、迫真的に捉えられた打楽器の音が素晴らしい。高低の分離や音色も良好鮮明であり、モノラルであるのにステレオ的な臨場感すら感じられる。
一楽章からノリノリで、たとえて言うならば、1952年の録音をさらに元気にした演奏と言える。深みでは一歩足りないかもしれないが、覇気があり、例の「ウラニアのエロイカ」に似た音のドラマがある。
もっとも、「ウラニアのエロイカ」のような恣意的な音のドラマではなく、より客観性を増したものであって、有名な二つの演奏の長所(風格・深み・求心的な音のドラマ)を併せ持つ、これは本当に凄い演奏である。
ちなみに、私は「ウラニアのエロイカ」が大嫌いで、買った盤のどれも満足した試しがない。演奏の物凄さは理解できるし、フルトヴェングラーを象徴する演奏の一つであることには反論するつもりもないが、あそこからはフルトヴェングラーの芸術がうまく伝わってこないのである。
フルトヴェングラーをフルトヴェングラー足らしめるはずの深い思索や哲学的な間合い、優しく包み込むようなデリカシーといったものがやや後退し、激烈な音のドラマの方に焦点がある。それがこと「英雄」という楽曲に関しては、私の理想と違うのである。市販されている音盤のどれも音が悪い。評判の良いMelodiya盤やDelta盤でもその思いは払拭できない。まあ、根本的に私の嗜好と違うだけのことであって、批判するつもりは毛頭ない(念のため)。
閑話休題。この1947年盤で惜しいのは、オーボエの音などが独特のウィーン訛りで、ちょっとフルトヴェングラーの音楽性とはズレるかな、といったところ。
スケルツォの冒頭も、1952年盤のような、心の波立ちの表出までには至っておらず、フルトヴェングラーの棒はより直接的な音に関心が向いているようだ。
それにしても、この時期のウィーン・フィルの美音は素晴らしい。それをこの盤は如実に音に再現できている。市販されているものなので、お薦めしたい逸品である。この1947年盤は知・情・意が見事に揃った快演であって、1952年盤を依然として愛聴するものの、この1947年盤も手放すことができなくなりそうだ。
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