リッカルド・シャイーのバッハ「マタイ受難曲」 [バッハ:宗教曲]
シャイーがマタイ?
違和感を覚えたが、もしかして、いわゆる古楽器スタイルとは違う何かがあるのでは?という期待があり、いそいそと購入して早一ヶ月。
結果的に、この買い物は無駄ではなかった。
シャイーのマタイ、ということで、どのような演奏を想像されるだろうか?
たとえば、彼がマーラーで聴かせるような遅いテンポのもの、あるいは、メンデルスゾーンのように快活なもの。
答えは、後者である。
第1曲はあれよあれよというテンポで、進んでいく。
序奏はメンゲルベルクやリヒターのようなタメ、イエス・キリストの歩みを思わせる雰囲気もなく、切れ味良く、ぱっぱと行進曲風。
合唱団はテルツ少年合唱団と聖トーマス教会合唱団を使用。
コーラスは非常に素晴らしく、まさに天使の声。
オーケストラは、ブランデンブルグ協奏曲のときにも聴かせたライプツィヒ・ゲヴァントハウス。
どうも、録音状態が独特の色合いでマスキングされているようで、あまり伝統的な木質の響きを感じられないのが残念だ(これはブランデンブルグのときも感じたこと)。
第一曲で抵抗を覚えた方も、長ったらしいレシタティーボやアリアを、粒揃いの歌手たちのクリアーで情感豊かな歌声とともに、さくさく切り込んでいく姿勢には、むしろ新鮮だろう。
ここ数年、マタイを全曲聴き通すなんてことはできなかったが、難なく聴き終えることができた。
ドラマティックな起伏にも欠けておらず、もちろん、メンゲルベルクのような大芝居はいっさいない。
しかし、リヒターよりははるかにドラマティックだと思うし(その分、禁欲的ではない)、
終曲の快速テンポも、少年合唱の至純の歌声とともに、はっとするような祈りに溢れている。
ただ残念なのは、第47曲の「憐れみたまえ、我が神よ」。
ヴァイオリンがノン・ヴィヴラートで、悲しみを香りのように漂わせていくが、ここまでクールにやられると、まったく違和感を覚えてしまう。
旋律の歌わせ方もちょっと独特なところがあり、やはり、ここはスタイルを超えて、綿々と心情を綴るべきではないだろうか。
ブランデンブルグ協奏曲とは違い、はっきり言って、抵抗もあるシャイーのマタイ。
おそらく、相当我を通したのであろうが、それが素直な感動や感慨に結びつかない点が、シャイーの大きな弱点だと思われる。
新鮮な音作りや優秀な歌唱に耳を奪われても、心は奪われない。それは、マタイだからだ。
しかしながら、その野心と「何か新しいものを生み出してやろう」という気概は買う。
案外、何度か繰り返し聴いている自分もいるのであった。
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