没後50年記念 ブルーノ・ワルター [ブルーノ・ワルター (cond.)]
ブルーノ・ワルター。
今年は没後50年になるのだそうだ。
クラシックと本当に向かい合うようになった高校時代から、ブルーノ・ワルターは永遠のアイドルである。
ブルーノ・ワルターという指揮者の素晴らしさについては、
写真として掲載した『宇野功芳編集長の本 没後50年記念 ブルーノ・ワルター』所収の
佐藤眞氏と宇野氏との対談をお読みいただきたい。
宇野直人氏の評論も極めて興味深い。
要するに、我々が想像する以上に、フルトヴェングラーやトスカニーニ以上に、指揮者としての才能を持った人だった、
ということである。
私自身、ワルターがフルトヴェングラーやトスカニーニより優れているかと問われれば、
ベクトルが違うものを比較してどうする?ということになってしまうのだが、
彼の音楽が「歌謡」「老けた老人の音楽」「温和・穏健」という評価だけを得ていれば、
ああ、この評者は何もわかっていないんだな、と思ってしまう。
ウィーン・フィルに関する中野雄氏の著作で、ウィーン・フィルの往年のベテラン奏者が語っているが、
彼がポルタメントをかければ、そして彼がロマンティックな表情を作り出すときは、
そこには終楽章までのスコアの構造を見通した構成力が働いていたという。
卓見だ。
ウィーン・フィルとの「軍隊」、一楽章より終楽章にこそ意味があるのだという。
一楽章から四楽章を聴くことで、ワルターのスコアの徹底した読みと指揮者としての才能が嫌というほどわかるのだという。
後は、それを聴く者がどう感じ、どう思うかだと思う。
私はワルターの作る音楽がことさら好きだ。
さて、私はかつて若気の至りでブルーノ・ワルターの「ブルックナーとマーラー」という論文を訳したことがある。
随分読みにくい(ワルターの書く英語は独特だ)訳を作ってしまったことを反省して、
新訳を準備しているのだが、今年中に間に合うだろうか。没後50年、何とか間に合わせたい。
ブルーノ・ワルターの愛聴盤を3つ選べ、と言われたら、
・モーツァルト:交響曲第41番 コロンビア響
・ベートーヴェン:荘厳ミサ曲 ニューヨーク・フィル
・マーラー:交響曲第2番「復活」 ニューヨーク・フィル
を挙げることにしたい。モーツァルトは酷評されることもある盤だが、専門家の批評がどうあれ、
私にはその老年のしみじみとした感慨と澄み切ったモーツァルトの詠嘆、
何より終楽章コーダの金管の壮麗な彫刻に、天国の門を思うのだ。
ベートーヴェンは何度も書いてきた。
マーラーの「復活」は「巨人」や「大地の歌」でもいいのだが、音のすみずみまで愛情がこもっていることがわかる
不思議な魅力をもった、そしてこの先どんなに長生きしても、こんな古典的な造形を持って、善意に満ちたマーラーは聴けないだろうことを思って寂しくなる演奏だ。
番外として、ニューヨーク・フィルのブラームス、それも「ハイドンの主題による変奏曲」を挙げておきたい。
私の本当の宝物は、この曲とこの演奏かもしれない。
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