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甦れ!バーンスタイン一期一会のライヴ [SACD]

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SHM-SACDでのリマスタリングの音質には玉石混交といった印象があり、カルロス・クライバーのベートーヴェン「運命」ならびに7番は音に芯がなく、最低だと思っている。私が愛聴しているのは、同じくクライバーのシューベルト、ムラヴィンスキーのチャイコフスキー、ヨッフムのオルフ、カラヤンのR. シュトラウス「四つの最後の歌」である。

今年はバーンスタインの没後25年目にあたり、ユニバーサル・クラシックからベートーヴェンの交響曲全集と例のマーラーが発売された。今日はその「例のマーラー」について書いてみたいが、その前に一言。

バーンスタインのベートーヴェンの交響曲全集は、カロリーは高いが脂っこい印象で、とりわけ金管など品のない音がずいぶん聴こえる。昔ほど感銘は受けなかったが、改めて聴いて随分細部までこだわりのあるユニークな演奏だと思った。また、改めて価値を見出すだろうか。それにしても、何故マーラーの交響曲全集をSACD化しなかったのだろうか。ずっと需要、それからSACD化のメリットがあると思うが。。。

さて、「例のマーラー」。曰く付きの演奏だが、昔から好きではない。

ちなみに、マーラーの交響曲の中で、9番はそれほど愛着がなくなっている。なるほど、1楽章は非凡だが、終楽章を弦楽主体のアダージョを持って来たいがために、中間2つの楽章はアイロニカルなスケルツォの性格にせざるを得ず、それがシンフォニー全体として完成度を損なわせているように思う。

同じようなことを考える方が、音楽家や学者の方にもいて、たとえば、東京藝術大学名誉教授の佐藤眞さんは、「要するに、真ん中二つは捨てなんだよな」と述べておられる。「捨て」とまでは思わないが、高校時代、ワルターのライヴを聴いていた頃も、2楽章だけは最後までシンパシーが湧かなかった。

私なら、マーラーはまず「巨人」「復活」「大地の歌」で、5番、7番、8番あたりはよく楽章を抜き出して聴く。9番よりも10番にずっと惹きつけられる自分を最近は感じるが、これについては閑話休題。

さてさて、改めて「例のマーラー」だが、初出CDの音質。あれは金属的なギラギラした音で、ベルリン・フィルの弦はのっぺりしていて、「どこが良いの?」という思いだった。アムステルダムでの録音が一等で、イスラエル・フィルとのライヴも今一歩かなと感じていた。

ESOTERICがSACDハイブリッド化し、奥行き、雄大さが増し、弦楽が艶をもって豊潤に聴こえるようになると、これがベストかなと思うようになった。9番に冷めていたのに、久しぶりにじっくり耳にし、感銘を受けたからだ。

その後、SHM-SACD化。シングルレイヤーだし、マスター・テープはユニバーサルの保有。さらなる高音質を期待しないわけがない。

初期ロットは不良だった。ユニバーサルは「4楽章が途中から片チャンネルになる」と言って、回収・良品交換対応したが、それがなければ知らん顔するつもりだったのか!?

収録音量レベルは異常に低く、アンプの音量を最大にしても足らない。楽章間の雰囲気やバーンスタインの唸り声なども、旧来のCDよりカットされずに復活しているが、音自体の情報量が少ない為、まるで生気のない「死んだような音楽」に変貌していた。リマスタリングは失敗か、と失望した次第である。

さて、良品は9月11日に届いた。余計なノイズ・カットもしなかったのだろう、臨場感に溢れ、生々しく迫力ある音質に変わっていた。低音は締まりがあり、ティンパニもダブつかない。これに比べると、やはりESOTERICのマスターは二次的なものか、オリジナル・アナログ・マスター・テープなとではない。バーンスタインの唸り声がかなりカットされた、旧来のCD用マスターであることがわかる。

ということで、やっと満足した。名演だけに、良い音質で蘇れば、胸を打つのは必定。これからはこちらで楽しむことになりそうだ。



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