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クレンペラーのSACDシングルレイヤー化は失敗だったか!? [SACD]

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2015年も9月に突入。時間が経つのは本当に早い。今夏は比較的、音楽を聴く時間が持てたので、ずっとじっくり聴いてみたかったワーナーのクレンペラー、SACDシングルレイヤー化されたベートーヴェンを聴いていた。

結論から。クレンペラーのEMIのステレオ録音は、SACD化がほとんど失敗に終わっているように思う。オークションや中古で、とんでもないプレミア価格がついているが、そんな価値はないと断言する!
以下は、CDとの念入りな聴き比べをした結果である。

クレンペラーのベートーヴェン交響曲全集は、座右に置きたい定番的な愛聴盤。待ちかねていた名盤の最新リマスターだった。

ASDレーベルのオリジナル・ジャケットを採用、LP発売時の曲目構成を意識して発売したため、ここまで細かく分けて発売する必要もなくもがな!っちゅうくらいの分売の量。最近出たバーンスタインの全集(DGのshm-sacd)と同じように財布も大変だった。

音質は見晴しが良くなり、一つ一つの楽器の音が耳当たり良く耳に入る。低域・中音域・高域がバランス良く、旧配置によるオーケストラの立体感が感じられた。風通しが良い、というのかスッキリ、スマートになった印象だった。

最初はSACDの効果は絶大だ、マスターの音に一番近いはずだ、と信じていたが、どうもCD時代に楽しんだ、あの「古めかしくて不器用な、それでいて人情味のある古城のような情緒」が感じられない。音色感が希薄で、人工的な感じなのだ。そして、妙に「自信のある音」になっている。

いぶかしく思い、CC30-3272〜77などという三十年近く前の古いCD全集と聴き比べてみた。

CDは音量を上げると音がキンつき場面(とりわけフォルテ)、聴き疲れするところもなくはないが、全体としては、楽器の質感といい、録音会場として使われたキングズウェイ・ホールでの臨場感、クレンペラーやプレイヤーの存在感など、ガサゴソノイズなど、SACD化でのリマスタリングで蒸留、いや漂白されてしまったものの多くを好ましく、味わい深く感じた。

SACDシングルレイヤーは、クレンペラーの演奏を綺麗に美しくは整音したが、老巨匠が音に込めた枯淡とも言えるポエジーや陶器を愛でるような音符への愛情まで消し去っている。ヘイワースの言う「良き音楽の弁護士」の演奏とはとても感じられない商品だ。

具体的に行こう。

まず、併録された序曲はことごとく音が悪い。覇気がなく、ふやけていて、重厚さがない。4番の終楽章、一番最後の和音には、CDでも「ザッ」という雑音が残っている。これを、こともあろうに除去したのだろう、不自然な加工をしているために、まことに興醒めな最終和音に変貌している!誰も指摘しないが、世の中どうなってるのだろう?

7番、有名なフィナーレ。CDで聴いてみれば、各楽器はうねるようで、むせるくらいの楽器の音の魅力、オーケストラの色艶が味わえる。そして、どこか禅のような、苔むした味わいも、、、。「あ!クレンペラーだ!」というあの音だ。SACDは、ただ音だけが聴こえる。クレンペラーの演奏の味わいを失くして、アナログな重厚さを失くして、どこか軽い、ぱっと聴けば鮮明だが、深みのない音に変わっている。

3980円という値段は高額だったが、それでも「この演奏が好き!」というのであれば、一度は聴いてみる価値があるのかもしれない、とタカをくくっていた。

上記は私の入門クラスのオーディオ装置による試聴だし、ランクが上がれば別な感想になるかもしれないから。オリジナル・マスター・テープからリマスタリングをやり直し、ルビジウム・クロックによるデジタル処理、イコライジングを最低限度に、ということだが、その最低限度がかなり怪しい。

マーラーも、ミサ・ソレムニスも、どうも綺麗すぎる。試しに後者を、西ドイツ盤のCDで比較したが、合唱の混濁さ、フォルテのきつさ、それに伴うノイズが大きいとはいえ、楽器の質感やソノリティーはこちらが自然な感じ。SACDシングルレイヤーは、「きれいな(人工的な)クレンペラー」だ。

お手元のCDで、十分堪能できると申し添える。高いお金で買うもんではないです。再発売されたら、お試しを。

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