アーノンクールの「グレート」 [シューベルト:交響曲]
ニコラウス・アーノンクールが引退を表明したのは、昨年の12月のことだった。
アーノンクールという指揮者に対して、kitakenはほとんど感想を書いたことがない。
ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」の演奏に対して、少し書いたくらいだろうか。
彼のヨーロッパでの名声に反して、どうも「細かいところに癖をつける」「独特のこだわりが音楽の美しさを破壊させている」というような印象が強く、ベートーヴェンの交響曲全集(イギリス室内管弦楽団)など、どこが良いのかさっぱりわからなかった。
「これは!」と思ったのは、モンテヴェルディの「ウリッセの帰還」、「オルフェオ」、「ポッペアの戴冠」をセットにした、Teldecから出ていたサントラ盤。
もともと、youtubeでポネル演出のその映像を観ていたのだけれど、その凄まじい音楽のえぐり方に、愛聴盤だったヤーコプス盤やガーディナー盤も物足りなくなるほどで、最後のネロとポッペアの二重唱に至るまで、じっくりとした重いテンポで、粒ぞろいの歌手たちの名唱とともに、見事なまでのルネッサンスを堪能させてもらった。
その頃から、アーノンクールも良いものは良い!という印象に変わる。
ヘンデルの「メサイア」、モーツァルトの「宗教曲全集(ミサなど)」、とりわけ前者は愛聴盤であるし、ウィーン・フィルとの傑作は何と言っても、ヴェルディの「レクイエム」でありましょう。
ヴェルディの「レクイエム」は、これまでショルティ/シカゴ響、デイヴィス/ロンドン響(SACD)、ムーティ/シカゴ響(SACD)などを聴いてみたけれど、アーノンクールのはヴェルディのスコアをもっともシンフォニックに、そして繊細に鳴らしきっており、合唱の素晴らしさ、オーケストラの素晴らしさ、独唱の禁欲的な歌い方とも相まって、本当に素晴らしい名演奏となっている。いつか、じっくり感想を書いてみたいほどだ。
(バッハの「クリスマス・オラトリオ」とシューマンのオラトリオ「楽園とペリ」も持ってはいるが、まだ聴いていないや。もうじき開封します。)
で、今回はベルリン・フィルの自主制作盤。
パッケージの美麗さ、コレクターの心をくすぐる魅力的な内容(ハイレゾ音源ダウンロード、blu-rayオーディオつき、さらにデラックスな解説書、そしてさらにはインタビュー映像、さらにさらに、シューベルトの歌劇「アルフォンゾとエストレッラ」、宗教曲二曲に、交響曲全集という超豪華セット!)。
でも、高い(泣)
しかし、レコード・アカデミー賞大賞も受賞したようなレコーディングを、聴かずに流すにはおれないのがkitakenのサガ。買いましたよ、アーノンクールよ、さらば!の気持ちで。
録音は極上。ハイレゾはまだ聴いていないが、CDでも最高だ。
もっとも、kitakenはCDを聴く際は、High Definition Caseという音質向上アイテムを使っているためかもしれない。
余分な帯電成分や、CDにマイナスになる要因を、ケースに入れるだけで中和してくれるというもの。
試みに、バイロイト第9のSACDを聴いてみたら、音が滑らかになり、粒立ちも良く、アナログ・ライクな質感に変わった。ひさしぶりにじっくり耳を傾けてしまったほどだ。
閑話休題。
で、まずは「グレート」。
本当にスケールが大きく、何といってもベルリン・フィルが素晴らしい。
金管や打楽器が決然とリズムを刻みつつ、弦は剛毅な迫力から繊細な抒情に至るまで、まさにネオ・ロマンティシズムだ。
昔聴いたフルトヴェングラーやクナッパーツブッシュを思い出させるほど。
たとえば、クナッパーツブッシュのは、終楽章のコーダの猛烈なスロー・テンポが印象的だったけれど、アーノンクールのはより現代的な形でデフォルメしている。最終和音のディミヌエンドなど、どこか復古的な演奏なものか。
要するに、アーノンクールはバリバリの鬼才なのである。古楽器演奏のスペシャリストなどではなく、正真正銘、やりたいことをやる芸術家なのである。
スケルツォの細かい音の強弱、立体感、リズム感など、アーノンクールは枯れないなという印象だし、少しも感傷的にならない二楽章(感傷的になるのと、魅力的なこととは別)なども、エネルギーに満ち溢れており、シューベルトの男性的な面が遺憾なく発揮されている。
順序は逆になったが、一楽章のものものしさと攻撃的なくらいの迫力は、心がうきうきとしてくるほどだった。
ベートーヴェンの交響曲第7番を聴いているような感じで、はあ、チクルスが途中で終わることなく、完成されていればなあ、と嘆息してしまった。
もっとも、新しいベートーヴェンのチクルスは、ベルリン・フィルではないので、本当に名演になったかどうかはわからない。
久しぶりに、ベルリン・フィルいいな!と思ったこと、アーノンクールがバリバリの熱血芸術家であったことを知って、「グレート」という曲がまた好きになった。
それだけ!
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンに行く [シューベルト:交響曲]
GWは家でのんびり過ごし、本業の研究に励もうと思っていたのですが、悪友の誘いもあって、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン(「熱狂の日」)にでかけることになりました。
待ち合わせは国際フォーラム。現地集合。ビックカメラで発泡酒数本を購入し、ちびちび飲みながら人間観察をし、「熱狂の日」祭りの雰囲気を楽しみます。まあ、日本にもこれだけクラシック音楽に興味を持っている人がいるんだなあとしみじみ。
今年は「シューベルトとウィーン」というテーマだそうで、私が聴いたのは大友直人さんと上海交響楽団による「グレート」をメインにしたコンサート。
手違いで私だけ別の席になるものの、S席だったので音楽もそこそこ楽しめました。
「そこそこ」というのは会場が会場だけに、完全にクラシック音楽を聴く環境ではないわけですが、舞台からかなり近い席ということもあって、今回はオーケストラの豊かな響きを満喫できましたのです。特に管楽器は素晴らしかった。ティンパニの音は全部上にあがってしまっていましたが、それでもふわっとした音像に貢献していたように思います。
それにしても、シューベルトの交響曲を大ホールで聴くのは初めてかもしれません。しかも日本人の指揮者と中国の管弦楽団。この組み合わせの妙に、不思議と満足してしまいました。
シューベルトの交響曲第9(7)番は若干冗長に感じられるものの、リズムが絶えずモノを言う立派な構成の音楽です。そして夢見るようなうっとりとした旋律が満載で、何ともはやシューベルトらしいといえばシューベルトらしい傑作ではないでしょうか。
両隣の席のご婦人も、夢見るような旋律にZZZ・・・。私としてはこの「夢見るような旋律」とやらを聴くたびに胸がしめつけられて苦しくなるのですが・・・。
家に帰ってきてから、自分の家にあるCDをいくつかかけてみました。好きなディスクはブルーノ・ワルター/コロンビア交響楽団のステレオ録音とフルトヴェングラー/ベルリン・フィルの1942年のモノラル録音です。で、改めて聴き直してみたのが写真のCD。
帯には「第二世代復刻」などという怪しげなキャッチコピーがありますが、音質はなかなか優秀だと思います。もっとも私個人としては、メロディアのLPから直接板起こししたもののがリアルな音質で好きですが・・・。このCDの「音」については今まで書いたことがなかったので、この機会に書いてみたいと思います。
「第二世代復刻」といっても、単純な手作業によるノイズ除去が実態であろうと思われます。ソースは旧ソ連メロディア社の初出LPでありましょう。やわらかみのある音色、きれいに整えられたバランス。いや、実際にはこのように聴こえていたのではないかと思わされます。
しかしながら、ノイズの除去という作業によって、やはり周辺成分というものが消えているように思います。生々しさが一歩後退していることは否めないでしょう。
メロディア・レーベルのCDよりは豊かな音が楽しめ、有名な「第9」(こちらも名演奏の優秀な復刻、ただし、Veneziaの板起こしには及ばない)とのカップリングということもあり、お手ごろなセットではあるのですが、直接LPから起こした原音を聴いてみたいものです。