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ベートーヴェン:協奏曲 ブログトップ

今更ながら、ベートーヴェンのPC1って名曲ですね、の巻 [ベートーヴェン:協奏曲]

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プレトニョフのベートーヴェンについては、以前交響曲全集について全曲レビューをした。

彼が一流のオーケストラ、たとえばアムステルダムとかドレスデンとかで、今「ベートーヴェン」を再録音したら、どんな演奏になるのだろう?

そんな興味もあって、先日youtubeを視ていたら、プレトニョフが若い時分にフェドセーエフとやったコンツェルトのライヴ映像があった。

もともとピアノ協奏曲ってそんなに好きではなく、私はひねくれ者なので3番のフィナーレが好きなくらいなのだが、その3番の演奏はとても良かった(フェドセーエフのオーケストラも凄かった)ので、CDの全集を聴いてみた。

CDになっているほうは、ガンシュという人物が指揮者で、グラモフォンのレコーディング・エンジニア兼指揮者さんだという。

オーケストラに厚みは足らず、フェドセーエフのような凄絶な迫力がない。アンサンブルはまとまっているが、これはプレトニョフのピアノを聴く演奏なんだなあ、とちょっとがっかり。

その後にかけた「皇帝」。

以前も書いたが、「皇帝」はそんなに好きではないので、フルトヴェングラーやクレンペラーで聴くことくらいしかないのだが、プレトニョフのは面白かった。一楽章でやめるつもりだったが、全曲聴いてしまった。

何が面白いか、というと、プレトニョフの独特な間合いというか、タメのようなものが堂に入っていて、オーケストラも荘重さよりは強靭な迫力を感じさせて、ピアノの美音の氾濫とともに、ベートーヴェンの音の洪水のような感を覚えたのである。

で、最近の私のリピート率の高い曲は、皇帝か?というと、実は違うのです。

最近、1番の魅力(とくに終楽章)に憑りつかれまして、主題の愉しさ、転げまわるようなピアノの茶目っ気、オーケストラの革新的な剛毅さに、「ベートーヴェン、すげえ!」と驚嘆してしまったのです。

特に終わり近く、ピアノが弱音でオルゴールのように弾くあたり、儚くて・・・

バックハウスとイッセルシュテットのも聴き直してみたのですが、うーむ、そんなにいい音楽には聴こえない。

と、本当に、発売から随分時間が経っているにもかかわらず、ようやくプレトニョフ、ピアノでは凄い人だったんだ、とダッタン人になってしまいました。

そして、宇野功芳氏も絶賛されているのが1番と2番(『新版クラシックCDの名盤-演奏家篇-』文春文庫)。

そういえば、そうだった!と改めて、そうダッタン人の踊りなのでした。


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ミケランジェリの「皇帝」、そしてピアノ協奏曲第3番 [ベートーヴェン:協奏曲]

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 普段から中古CD屋を探索するのが好きだ。

 実際、思いもよらぬ名盤に出会うことがあり、そういう瞬間には拝みたくなる。

 最近は、新譜を買うことも少なくなり、聴いたことのない名前の演奏家に関心を持ったり、

 今まで聴いてきたCDにもう一度耳を傾けたり、なんてことを繰り返している。

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 博士論文の執筆が終わって、頭の上にかぶさっていた重い何かが消えて、

 お酒の量も減り、体を動かす時間も少しずつ増えてきた。

 これからは健康で健全な精神の毎日を、と思っている矢先、

 クラシック音楽はふたたび美しくきらめてきた。  

 昨夜など、久しく興味を失っていたマーラーを聴いた。

 マーラーはつい最近、ミトロプーロス指揮ウィーン・フィルの「千人の交響曲」を聴いたけれど、

 今は9番、「大地の歌」などより、8番のような壮大な音楽のほうがロマンを感じる。

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 ミケランジェリというピアニストをご存知だろうか。

 当然ご存知でしょう。

 あのキャンセル魔、脅威の完全主義者、超絶的なピアニズム。

 レパートリーも狭く、録音も少ない。

 カルロス・クライバーそっくりのピアニストである。

 中古CD店で、ベートーヴェンの協奏曲を録音したものが並んでいたので購入。

 DGから出ているジュリーニとのライヴである。有名な名盤(らしい)ですね。

 そんなものも聴いたことがないのか、と言われるかもしれないが、ミケランジェリには全く興味がなかったのです。

 何枚組みかの廉価BOXでシューマンやらドビュッシーやらを聴いたけれど、全くつまらなかった。

 DGのではなく、DOCUMENTSから出ているセットである。

 音質が悪いこともあるんだろうけれど、ピアノの音がクリスタルのようにきらきらしているだけ。

 音楽の内容は・・・、皆まで言うまい。

 ジュリーニという指揮者も苦手である。

 かっこいい風貌で、「リハーサルは愛の行為」だとか、少し背中がかゆくなるようなことを言い、「私は作曲家の下僕です」と公言する指揮者。

 私、ひねくれ者なので、こういうことを平然と言う演奏家、信用できないのです。

 彼が指揮したもので、「良い!」と思ったのは、マーラーの第9くらい。

 ベートーヴェンも今3歩。名盤とされるモーツァルトの「ドン・ジョバンニ」もどこが良いのか。

 ミサ・ソレムニスもうちの装置で聴くと、感動的には響かなかった・・・。

 で、ベートーヴェンの協奏曲。

 相変わらず、ミケランジェリのピアノは冴え渡っている。

 「皇帝」という外見だけがきらびやかな、内容の薄い音楽だけに、けして嫌味ではない。

 ジュリーニもいつもの神経質な指揮ぶりが、スコアの今まで気がつかなかった部分に光を当てており、聴いたことのないような響きが頻出(木管!)。

 これは素直に「良い」と思った。

 ベートーヴェンの「皇帝」。

 つまらない曲です。

 家の近所に住んでいる富豪のおばさまが、「わたくし、ベートーヴェンのエンペラー・コンチェルトが一番好き」と仰っていて、中学生だった私は、都立大学駅前の中古CD屋でルービンシュタイン/バレンボイムという組み合わせのCDを買ったのだった。 

 あの頃は良かった。聴いたことのない名曲ばかり!!

 なけなしの小遣いで、買った一枚。

 ルービンシュタインはがんがんピアノを弾いており、バレンボイムの指揮は堂々としていた。

 でも、一楽章は冗長、二楽章はメランコリックに過ぎ、三楽章は楽天的だった。

 私が素晴らしいと思ったのは、クレンペラー(今度はバレンボイムがピアノ)、フルトヴェングラー(フィッシャーのピアノ)だけで、要するに、豪華絢爛なだけの音楽ではなく、重厚かつ苦味のある音楽を探り当てている演奏だった。

 ミケランジェリ、ジュリーニの組み合わせは、豪華絢爛という意味では最高でしょう。

 ここまでやってくれると、もはやグウの音も出ない。参りました。

 ミケランジェリのピアノって、こんなに美しかったのかあ・・・。

 ちなみに、カップリングの3番。

 私は、3番が一番好きなのです。特に終楽章は、ベートーヴェンが書いた音楽の中でも、非常な傑作の一つだと思っています。

 セルとギレリスが組んだ凄いライヴがあって、それがマイ・ベスト。

 ミケランジェリとジュリーニのは、悪くはないけれど、クレンペラー盤と同じでちょっともってりとしている。その分、内容に深みが出ていることも否めないのだけれど。

 一緒に買ったカラヤンのマーラー(第9、セッション録音のほう)は、世評に違わず、アンサンブルが崩壊している箇所が・・・。どうしたカラヤン。

 


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ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番『皇帝』の名盤 [ベートーヴェン:協奏曲]

 ベートーヴェンのピアノ協奏曲は五曲あるが、私が特に好むのは3番と4番。有名な5番『皇帝』はそれほど好きではない。

 一楽章からして、ベートーヴェンにしか書けない豪華絢爛、勇壮雄大な音楽であり、その長大さといい、立派さといい、古今随一の傑作であることを否定するものではない。

 しかしながら、どうもこの一楽章が苦手だ。長大すぎて、念押しが多く、立派さがだんだん嫌味に感じられてしまう。ベートーヴェンの男性美全開だと思うのだが、しつこく感じてしまうのだ。申し分なく格調が高く、優雅で高潔なのだが、それを何度も何度も繰り返されるような感じがするのだ。

 昔聴いたルービンシュタイン/バレンボイムの名盤は、大家のピアノの素晴らしさに驚嘆したものだ。バレンボイムがロンドン交響楽団を振って伴奏を務めているが、これまた素晴らしく、この盤があれば他はいらないと思っていた。ルービンシュタインのピアノはどこをとっても健康的で、立派。打鍵の強靭さには迫力があり、タッチの粒、一粒一粒がクリア。これが老年の極みの演奏家による演奏なのかという驚きがあった。

 しかし、時代の革命児ベートーヴェンには『皇帝』の持つ格調の高さや気品を破壊するような荒々しさやドラマが欲しい。格調だけではだめなのだ。そこでバックハウス/カイルベルト盤が登場する。

 バックハウスには、シュミット・イッセルシュテットと組んだウィーン・フィルとの演奏もあるが、そちらがどこかお花畑のように繊細小味であるのに対して、カイルベルトとの演奏は男性的で粗野だ。カイルベルトの指揮も推進力に富んでおり、これがステレオならと惜しまれる。

 格調と創造的な破壊力。この二つを満たす名盤は今のところたった一つ、クレンペラー盤だろう。ピアノはバレンボイムであり、このバレンボイムさえいなければもっと凄い名盤になったろう。たとえば、クラウディオ・アラウなんてパートナーに選んでくれたらどんなにか良かったろう。

 そのような「傷」はあるものの、クレンペラーは凄い。オーケストラは伴奏ではなく、主役だ。内声の隅々にまで意志の力が浸透し、木管や管の動きがくっきりとハーモニーの中に浮かぶ。重厚かつ巨大であり、膨れ上がっていくようなエネルギーには爆発力を内臓している。嫌いだった一楽章が全く抵抗なく聴けたのはこれが初めてだった。

 そこへゆくと、フルトヴェングラーの『皇帝』はどうだろう。

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 フルトヴェングラーの演奏は、クレンペラーのように立派さや重厚さを飾り立てるものではない。表情は驚くほどそっけなく、何でもなく流されていく(ように聴こえる)。ピアノを務めるフィッシャーも、立派さよりも、融通無碍で自在である。

 このような演奏は私は苦手なはずなのだが、そこはやはりフルトヴェングラー。この『皇帝』はまさに他の誰にも真似のできない境地に達している。

 フルトヴェングラーの演奏スタイルは彼の「エロイカ」(1952年スタジオ)などと同じように、自在な演奏である。音楽はことさら立派さや重厚さを強調されず、旋律の美しさ、曲想の生きて呼吸するような展開の仕方に聴くべきものがある。フルトヴェングラーは目立たないようにテンポを操作しており、表面上は何でもないように感じられながら、テンポを速めたり遅くすることで、息詰まるような切迫感を与えたり、幸せな音楽をファンタジックに聴かせてくれるのだ。

 フィッシャーも含め、この演奏は仙人の演奏みたいだ。全てが繊細でありながら脈々とエナジーが息づき、空間に鳴り響くのではなく、精神に向かって直接放射されてくるような演奏といえばわかりやすいだろうか。するすると心に染み入ってくる不思議な演奏なのだ。

 写真に挙げた盤は例によって、東芝EMIの初期CDである。これが一番音が良い。ピアノのクリアさ、オーケストラのふくよかさが抜群である。

 『皇帝』の名盤として、クレンペラーとフルトヴェングラーがあることは幸せだと思う。


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