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ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番『皇帝』の名盤 [ベートーヴェン:協奏曲]

 ベートーヴェンのピアノ協奏曲は五曲あるが、私が特に好むのは3番と4番。有名な5番『皇帝』はそれほど好きではない。

 一楽章からして、ベートーヴェンにしか書けない豪華絢爛、勇壮雄大な音楽であり、その長大さといい、立派さといい、古今随一の傑作であることを否定するものではない。

 しかしながら、どうもこの一楽章が苦手だ。長大すぎて、念押しが多く、立派さがだんだん嫌味に感じられてしまう。ベートーヴェンの男性美全開だと思うのだが、しつこく感じてしまうのだ。申し分なく格調が高く、優雅で高潔なのだが、それを何度も何度も繰り返されるような感じがするのだ。

 昔聴いたルービンシュタイン/バレンボイムの名盤は、大家のピアノの素晴らしさに驚嘆したものだ。バレンボイムがロンドン交響楽団を振って伴奏を務めているが、これまた素晴らしく、この盤があれば他はいらないと思っていた。ルービンシュタインのピアノはどこをとっても健康的で、立派。打鍵の強靭さには迫力があり、タッチの粒、一粒一粒がクリア。これが老年の極みの演奏家による演奏なのかという驚きがあった。

 しかし、時代の革命児ベートーヴェンには『皇帝』の持つ格調の高さや気品を破壊するような荒々しさやドラマが欲しい。格調だけではだめなのだ。そこでバックハウス/カイルベルト盤が登場する。

 バックハウスには、シュミット・イッセルシュテットと組んだウィーン・フィルとの演奏もあるが、そちらがどこかお花畑のように繊細小味であるのに対して、カイルベルトとの演奏は男性的で粗野だ。カイルベルトの指揮も推進力に富んでおり、これがステレオならと惜しまれる。

 格調と創造的な破壊力。この二つを満たす名盤は今のところたった一つ、クレンペラー盤だろう。ピアノはバレンボイムであり、このバレンボイムさえいなければもっと凄い名盤になったろう。たとえば、クラウディオ・アラウなんてパートナーに選んでくれたらどんなにか良かったろう。

 そのような「傷」はあるものの、クレンペラーは凄い。オーケストラは伴奏ではなく、主役だ。内声の隅々にまで意志の力が浸透し、木管や管の動きがくっきりとハーモニーの中に浮かぶ。重厚かつ巨大であり、膨れ上がっていくようなエネルギーには爆発力を内臓している。嫌いだった一楽章が全く抵抗なく聴けたのはこれが初めてだった。

 そこへゆくと、フルトヴェングラーの『皇帝』はどうだろう。

FurtwanglerEmperor2.jpg

 フルトヴェングラーの演奏は、クレンペラーのように立派さや重厚さを飾り立てるものではない。表情は驚くほどそっけなく、何でもなく流されていく(ように聴こえる)。ピアノを務めるフィッシャーも、立派さよりも、融通無碍で自在である。

 このような演奏は私は苦手なはずなのだが、そこはやはりフルトヴェングラー。この『皇帝』はまさに他の誰にも真似のできない境地に達している。

 フルトヴェングラーの演奏スタイルは彼の「エロイカ」(1952年スタジオ)などと同じように、自在な演奏である。音楽はことさら立派さや重厚さを強調されず、旋律の美しさ、曲想の生きて呼吸するような展開の仕方に聴くべきものがある。フルトヴェングラーは目立たないようにテンポを操作しており、表面上は何でもないように感じられながら、テンポを速めたり遅くすることで、息詰まるような切迫感を与えたり、幸せな音楽をファンタジックに聴かせてくれるのだ。

 フィッシャーも含め、この演奏は仙人の演奏みたいだ。全てが繊細でありながら脈々とエナジーが息づき、空間に鳴り響くのではなく、精神に向かって直接放射されてくるような演奏といえばわかりやすいだろうか。するすると心に染み入ってくる不思議な演奏なのだ。

 写真に挙げた盤は例によって、東芝EMIの初期CDである。これが一番音が良い。ピアノのクリアさ、オーケストラのふくよかさが抜群である。

 『皇帝』の名盤として、クレンペラーとフルトヴェングラーがあることは幸せだと思う。


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