SSブログ

見物人である!(TAHRAのFURT2002/4を聴いて) [ウィルヘルム・フルトヴェングラー (cond.)]

TAHRA.jpg

 音楽を専門として研究しているわけでもなく、CD化のためのデジタル化プロセスやリマスタリングという方式について格段の専門知識のあるわけではない人間が、CDから再生される音に敏感に反応してしまう時代。

 フルトヴェングラーの演奏がいつの間にか「リマスタリングを聴く」とでも言うべき様相を呈してきたのは一体いつからだろう。

 個人的にはフルトヴェングラーの演奏は時代とともに忘れられていくことが健全だと思っている。古い時代、しかも第二次世界大戦という人類史上の最悪の時代のひとつの産物が、今なお世界遺産のように聴かれ続けている現実。

 その現実を思うとき、我々の精神は今だに戦時中なのだ、という思いに駆られ、いささか悲愴な気持ちになることがある。我々人類は今だに生きるため時代と闘っている、だからこそフルトヴェングラーの演奏は現代においてなお不滅なのだと。

 フルトヴェングラーの演奏が忘れ去られることはない。人類の世が続く限り、永久に(ならば、人類は永遠に戦い続けることになる。それは一体何と?)。

 少なくとも私にはフルトヴェングラーが必要である。

 しかしながら、フルトヴェングラーの演奏がリマスタリングという名のもとに一種異様な姿を示してきたことは周知の事実である。

 同曲同演異リマスタリング盤が無数に存在し、そのどれをとっても同じ音ではない。会社が違えば、もっとも言えば「音をプロデュースする」人が違えば、その数だけの「音」が生まれる。

 フルトヴェングラーの演奏が永遠に生き残ることは慶賀すべきことであっても、それがフルトヴェングラーの与り知らないところで、どんどんフルトヴェングラーから乖離していくのだとしたらどうだろうか。

 以上の雑言は全て個人の妄言であって、全くの個人的な見解に過ぎないことを付記しておく。

 さて、先日、こんな記述を目にした。

 「演奏については改めて触れるまでもないでしょう。問題はその音です。これは非常にすっきりしており、情報量も豊かで、既発売中のベスト・トランスファーではないでしょうか。まず、第3番「英雄」(1952年12月8日)は音が良いだけでなく、初めて正確なピッチで出たものと思います。過去のCD等は現代のピッチよりも高かったのですが、それはありえないことでしょう。第7番、第8番(1953年4月14日)も実にしっかりとした音です(特に第7番)。DGよりもぜんぜん良いです。また、DGは第8番第1楽章の提示部の最後、クラリネットのミスを除去していましたが、Tahra盤はそのままです。戦後最初の第5番、第6番「田園」(1947年5月25日)も明瞭です。お試しになってはいかがでしょうか。」

 これは盤鬼として高名な平林直哉氏のコメントである。氏の指摘するCDが冒頭に掲げたCDである。

 個人的な見解であり、氏に対して異論を唱えるつもりも、このCDを好まれる方に対して反論するつもりも毛頭ない。私はただの見物人である。

 見物人の私としては音はけして良いとは思えない。「リマスタリングを聴いた」という暗澹たる思いが再び蘇った。

 TAHRAの音はどうもどれを聴いても同じに感じられて仕方ない。

 ヴァイオリンの音も、チェロの音も、全て同じ音に聴こえる。管楽器は物理的な現象に留まっており、涼やかなのはフルートのみ。全体は無色モノトーンな印象で、それはこのCD集を聴いても変わらない。大味で、繊細さに欠け、単色で、金属質の高音。刺激的な強奏。確かに音の情報量は多く、ノイズが少なく、音源の質は良いものと想像されるが・・・。

 これが良い音なのだろうか。むーん、考え込んでしまった次第。こういう時は何をするか?

 寝るに限る。

 ビクトリアの『レクイエム』を聴いてみて頂きたい。全ての音楽は必要ないと思わせる美しさに満ちている。これについてはまたいつか書きたい。

 (追記)

 TOCE7530-4を入手して聴き直してみたいのだが、やはり人気が高いようだ。フルトヴェングラーを聴くにはお金もかかるのだ。とほほ。


nice!(0)  コメント(4) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 4

ナオG

kitakenさん,
こんにちは,お久しぶりです.

痛快な内容に膝を叩きました.
おっしゃるように,いつからかフルトヴェングラーを“リマスタリングで聴く”ような雰囲気が大手を振るうようになり,自らもそれに影響されていることに気づきました.

・・・本当に演奏を聴いているのだろうか?

そんな自省をこめて,「音と言葉の中間領域」では《フルトヴェングラー詣で》を始めたという経緯です.ですからこれは自らの覚書ともいうべきもので,これを第三者が読むとき,共有できる部分とできない部分とがあるでしょう.言葉は非常に割り切れていて,切れ味の鋭い表現手段であるとともに,一方では体験を言葉にすることには常に限界が付き纏います.言葉にならない領域がある.

良いと感じる基準はそれぞれです.平林さんは今回のTHARAを本当に良いと思っておられるのでしょう.しかし,氏が良いと感じる領域と我々の領域のオーバーラップが違いすぎる.それは氏の作っているレーベルの音を聴いてもそうです.ですから自らの覚書には「まったく相容れない」と記載することになるでしょう.




by ナオG (2008-12-14 10:09) 

furtwan

こんにちは。お久しぶりです。
このセット収録の演奏はどれもすばらしいです。
引き込まれます。
そしておっしゃる通りで、音源の質の高さもわかります。
でも音は悪い。
キンキンシャリシャリ、ドンドンズボズボ、
演奏は凄いのに、これもおっしゃる通り、
「リマスタリングの音を聴いている」ことになり、
聴いているのが辛くなります。
疑問盤です。
小生にとっても、「相容れない」音でした。




by furtwan (2008-12-15 12:19) 

kitaken

ナオGさま

お久しぶりです。コメントをありがとうございます。
私と同じような印象を抱かれていたということを知り、恐悦至極です。

願わくば、フルトヴェングラーの名演の数々を一切リマスタリングせずに発売してみてもらいたいと思っています。それがたとえ劣化した音であっても、マスター・テープの素性だけでトライしてみてほしいと願っています。すでにマスターは失われている可能性も高いですが・・・。

LPからの板起こしや初期盤信仰は今後も加速し、おそらく歴史的録音を扱うレーベルにも少しずつは浸透していくのでしょうが、本場にはその声は届かないようですね。

「フルトヴェングラー詣で」、原点に立ち返る旅を楽しみにしております。私も私なりにフルトヴェングラーと語り合っていきたいと思っています。

by kitaken (2008-12-15 13:53) 

kitaken

furtwan様

ご無沙汰しております。コメントをありがとうございます。
このセット収録の演奏の質の高さには驚嘆させられます。

しかしながら、TAHRAのサウンドだなという印象しか残りませんでした。
願わくば、これらの演奏の真価を伝えてくれる音源を入手したいというのが切なる願いです。

12月7日のエロイカも、良好音源はレア度がますます高まっており、市場とレーベルの「音楽」に対する価値観の相違による影響が大きくなりつつあります。

足繁く中古屋に通い、せっせと調べるという作業がこれからも重要になりそうです。私もfurtwanさまのようにがんばります。
by kitaken (2008-12-15 13:57) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。