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フルトヴェングラーのベートーヴェンはどの盤で聴くか(HMVへのスタジオ・レコーディング篇) [ウィルヘルム・フルトヴェングラー (cond.)]

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 聴くのが苦痛でしかなかったTAHRAのベートーヴェン集。私の耳に馴染んだフルトヴェングラーはけしてこのような音ではなかった、と日頃耳にしているのは東芝EMIのベートーヴェンである。

 写真にあげたのは、例によって、CC35番台のCD最初期番。1984年にリリースされたものだがら、すでに25年が経過しようとしている品である。

 某ネット・オークションでは高値で取引されているようだが、そのような法外な値段を払わなくても、聴くことのできる術はあるのだが・・・。

 この盤に収録されているのは、ベートーヴェンの交響曲第1番と第4番。特に第4番のほうが好きだ。この曲の終楽章はウィーン・フィルの音色美を堪能したい向きには最適な盤だと思う。

 木管が霊感のある独特の響きでムジークフェラインに木霊し、弦は熾烈な響きと爛熟の香りとを放出しながら、虹色に輝く楽音が奔流のごとくほとばしる。力みがいっさいないのに、溢れるような情緒と根源たる迫力が両立しているという稀有な演奏である。

 もちろん、一楽章や二楽章も名演だし、三楽章もふわりとしたダイナミズムに聴き惚れるばかりだが、この肩の力の抜けきった迫力こそフルトヴェングラー晩年の至芸だと確信する。

 この盤で聴く音は、アナログ的な質感のある独特の華やぎのある音で、英ALPの音を彷彿とさせる。

 東芝EMIに残したベートーヴェンは一応全9曲が揃っているわけだが、今私が暫定的に一番良いと考えている盤をメモ代わりに記しておく。

 1番

 個人的には、CC30-3361/66の音を好む。CC35-3166よりも音にパンチがあり、聴き応えがあるためである。ただし、ウィーン・フィルの独特の柔らかさを採るとすれば、CC35-3166が良いだろう。

 2番

 けして好きな演奏ではない。したがって、日頃耳にすることはほとんどない。CC30-3361/66の全集盤中に含まれるものが一番しっかりとした音がするように思った。

 3番

 フルトヴェングラーが残した演奏の中でも、格別に愛しているものだ。CC35-3161, CC30-3361/66, TOCE7530/4から採るのが一番ベター。世評高いTOCE7530/4はけばけばしいくらいカラフルで、聴感上は「はっ」とするが、スケールは小さくなっているし、弦にはざらつきがある。CC30-3361/66はウィーン・フィルらしい明るいノーブルな響きがない。モノトーンで暗い音。しかし、CC35-3161よりもハリがあり、ここは好みの問題。私はCC35-3161CC30-3361/66のどれかを手に取ることが多い。

 4番

 CC35-3166が一番ウィーン・フィルらしい音がする(英ALPの板起こしシリーズに近い響き)。CC30-3361/66も悪くない。ただ、高弦がやや耳にきつく、ぼやけてしまった箇所があるのが残念だ。迫力ならば、こちらを採りたいが・・・。

 5番

 Deltaというレーベルから今年発売されたDCCA-0048によって、東芝EMIのCDは一切必要がなくなった。これは素晴らしい復刻である。これについては以前のエントリーに書いたので繰り返さない。

 6番

 CC35シリーズをこれだけ持っていない。是非入手したいのだが、これだけはなかなか見つからない。したがって、この演奏については最高の音質がどの盤であるかを述べる資格はない。個人的にはTOCE7530/4が派手すぎて抵抗があり、CC30-3361/66を聴くことが多い。ただし、ベストの音ではないと感じている。

 7番

 日本フルトヴェングラー協会がSPから復刻したWFJ-43が秀逸であり、キンキンした耳障りの悪い音もなく、柔らかく伸びやかでノーブルな音色を堪能できる。しかしながら、ピッチが低く、これについては復刻のやり直しを強く求めるものである。CC35-3164は悪い復刻ではないが、情報量はそれほどでもなく、特に打楽器の音は不鮮明。反対に打楽器の音が鮮明なのが、CC30-3361/66で、全体に温かみのある音色で聴きやすい。しかし、弦に滑らかさがないのが欠点。結局、総合点では、CC35-3164を採るしかなさそうだが、それならばより瑞々しいブライトクランク(TOCE-6514)を推薦したい。

 8番

 2番に関しては、この全集中に含まれるものが唯一なので非常に価値がある。しかしながら、このストックホルムでのライヴ録音はオケは二流だし、複数のライヴが存在する今となっては価値が薄い。日頃聴くことは2番以上に少ない。CC30-3361/66があれば後はどうでもいい、というのが本音。

 9番

 DeltaレーベルによるDCCA-0029が一番無難。英ALPからの板起こしであるが、音色は地味でシリアスな聴感である。個人的にはOTAKENがオーストラリア・プレスから復刻した弦の柔らかさにも惹かれる。DCCA-0029のマスターを他の高音質媒体で耳にしたい気持ちがある。

 おそらく、完璧と呼ぶべき復刻盤など存在しないだろう、とここまで書いてみて思った。個人の趣味に合ったものを選ぶべきであり、ここにメモしたものも参考記録に過ぎない。MYTHOSなどの原音再創造系の高音質レーベルも存在するし、私自身かつては魅了されていたものである。しかし、色々なものを聴いた後、ここにあげた盤たちを聴くとほっとするのも事実である。


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見物人である!(TAHRAのFURT2002/4を聴いて) [ウィルヘルム・フルトヴェングラー (cond.)]

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 音楽を専門として研究しているわけでもなく、CD化のためのデジタル化プロセスやリマスタリングという方式について格段の専門知識のあるわけではない人間が、CDから再生される音に敏感に反応してしまう時代。

 フルトヴェングラーの演奏がいつの間にか「リマスタリングを聴く」とでも言うべき様相を呈してきたのは一体いつからだろう。

 個人的にはフルトヴェングラーの演奏は時代とともに忘れられていくことが健全だと思っている。古い時代、しかも第二次世界大戦という人類史上の最悪の時代のひとつの産物が、今なお世界遺産のように聴かれ続けている現実。

 その現実を思うとき、我々の精神は今だに戦時中なのだ、という思いに駆られ、いささか悲愴な気持ちになることがある。我々人類は今だに生きるため時代と闘っている、だからこそフルトヴェングラーの演奏は現代においてなお不滅なのだと。

 フルトヴェングラーの演奏が忘れ去られることはない。人類の世が続く限り、永久に(ならば、人類は永遠に戦い続けることになる。それは一体何と?)。

 少なくとも私にはフルトヴェングラーが必要である。

 しかしながら、フルトヴェングラーの演奏がリマスタリングという名のもとに一種異様な姿を示してきたことは周知の事実である。

 同曲同演異リマスタリング盤が無数に存在し、そのどれをとっても同じ音ではない。会社が違えば、もっとも言えば「音をプロデュースする」人が違えば、その数だけの「音」が生まれる。

 フルトヴェングラーの演奏が永遠に生き残ることは慶賀すべきことであっても、それがフルトヴェングラーの与り知らないところで、どんどんフルトヴェングラーから乖離していくのだとしたらどうだろうか。

 以上の雑言は全て個人の妄言であって、全くの個人的な見解に過ぎないことを付記しておく。

 さて、先日、こんな記述を目にした。

 「演奏については改めて触れるまでもないでしょう。問題はその音です。これは非常にすっきりしており、情報量も豊かで、既発売中のベスト・トランスファーではないでしょうか。まず、第3番「英雄」(1952年12月8日)は音が良いだけでなく、初めて正確なピッチで出たものと思います。過去のCD等は現代のピッチよりも高かったのですが、それはありえないことでしょう。第7番、第8番(1953年4月14日)も実にしっかりとした音です(特に第7番)。DGよりもぜんぜん良いです。また、DGは第8番第1楽章の提示部の最後、クラリネットのミスを除去していましたが、Tahra盤はそのままです。戦後最初の第5番、第6番「田園」(1947年5月25日)も明瞭です。お試しになってはいかがでしょうか。」

 これは盤鬼として高名な平林直哉氏のコメントである。氏の指摘するCDが冒頭に掲げたCDである。

 個人的な見解であり、氏に対して異論を唱えるつもりも、このCDを好まれる方に対して反論するつもりも毛頭ない。私はただの見物人である。

 見物人の私としては音はけして良いとは思えない。「リマスタリングを聴いた」という暗澹たる思いが再び蘇った。

 TAHRAの音はどうもどれを聴いても同じに感じられて仕方ない。

 ヴァイオリンの音も、チェロの音も、全て同じ音に聴こえる。管楽器は物理的な現象に留まっており、涼やかなのはフルートのみ。全体は無色モノトーンな印象で、それはこのCD集を聴いても変わらない。大味で、繊細さに欠け、単色で、金属質の高音。刺激的な強奏。確かに音の情報量は多く、ノイズが少なく、音源の質は良いものと想像されるが・・・。

 これが良い音なのだろうか。むーん、考え込んでしまった次第。こういう時は何をするか?

 寝るに限る。

 ビクトリアの『レクイエム』を聴いてみて頂きたい。全ての音楽は必要ないと思わせる美しさに満ちている。これについてはまたいつか書きたい。

 (追記)

 TOCE7530-4を入手して聴き直してみたいのだが、やはり人気が高いようだ。フルトヴェングラーを聴くにはお金もかかるのだ。とほほ。


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Arkadiaのフルトヴェングラー(ワーグナー『ニーベルングの指輪』/ミラノ・スカラ) [ウィルヘルム・フルトヴェングラー (cond.)]

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 某大型コミュニティー・サイトでは巨匠のファン・クラブを主宰しているというのに、実のところ、フルトヴェングラーを聴く回数は少ない。限られた録音を日頃から湯水のように聴く、ということが勿体無く、たとえばバイロイトの第9などは一年に一度襟を正して聴くのみ。

 日本フルトヴェングラー協会から資料が送られてくれば話は別だ。今月になってからヴィースバーデン・コンサートとグレイトの復刻が届いた。どれも良質な復刻であり、こういうCDがもっと増えれば、巨匠のファンもさらに増えるし、健全だろうと思われた。

 フルトヴェングラーは録音が悪い、とよく言われる。確かにそうだ。

 最近、カラヤンの70年代の録音を中心にした交響曲のBOXが発売された。全38枚組み。録音の良さとオーケストラの合奏力に改めて驚嘆し、フルトヴェングラーにもこれだけの音質があればとため息をついてしまった。不景気な時代を吹き飛ばしてくれるようなゴージャスさに逆に感じ入ってしまった。

 フルトヴェングラーVSカラヤン。こと録音という面では、カラヤンに大きく差をつけられてしまっている(演奏内容は別)。

 カラヤンだけではなく、クナッパーツブッシュにも負けている。ステレオ録音が残されているからだ。

 もっとも、大好きな『ニーベルングの指輪』はクナにもモノラル録音しかなく、最高の演奏である1957年と1958年のチクルスが今だに正規盤がないのが残念だ。

 フルトヴェングラーには二種類のリングが残されている。ミラノ・スカラ座とローマでのライヴ録音だ。

 写真に上げたのはArkadiaから発売されていたミラノ・スカラ座盤(12CD 78070)。

 現行で入手しやすいのはGebhardtからの廉価盤だろうが、雲泥の差ほどの音質差がある。初出のCetraのLPもかくやと思わせる音質であり、ことによると戦後のグレートよりも音に臨場感がある。歌手はやはりフラグスタートの歌唱が素晴らしく、音質も低音がしっかりとあり、フルトヴェングラーのオーケストラの統率力も伸縮自在の魔術のようだ。

 Gebhardt盤で聴くと化学調味料で味付けされた(音色はオーケストラの音ではない!)ヒステリックなだけに感じられたワーグナーだが、フルトヴェングラーのワーグナーの素晴らしさを十二分に堪能できる音質で聴くことができる。

 ひょっとしたら、ステレオ・プレゼンスが加えられているかもしれないが、音のうねるような様や細かいニュアンスがより生き生きとしており、Arkadia所有のテープの状態の良さには脅かされる。 

 忘れ去られてしまうには惜しい盤だ。これくらいの音質でこそ、ようやくクナとの比較もできよう。 


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原音回帰 [ウィルヘルム・フルトヴェングラー (cond.)]

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 どうもうさんくさい。EMIが発売しているCDの全てが信用できなくなってしまう。フルトヴェングラー以外の演奏家も含めて・・・。

 英ALPをはじめ、最初期のLPから「板起こし」された復刻音は、CDとはあまりに異質にすぎる。CDのほうが物理的特性は上だという人もいるが、現にCDの開発に携わった専門家の多くが、今、CDはあまりに不完全な代物だ、と述べている。

 Deltaから発売されている、「バイロイトの第9」、ウィーン・フィルとの「運命」の2点を聴いていただければ、それがあながち間違った評価ではないことをお気づき下さると思う。

 最近、フルトヴェングラーがウィーン・フィルを振って録れたベートーヴェンの交響曲第7番(1950年セッション録音)を集中して聴いている。CC35-3164という盤が好評価なので聴いてみたのだが、やはりやや暗い。どこかほの暗さが拭いきれない。それが加工による着色なのかどうかはわからないが・・・。鮮度が良く、艶のあるヴァイオリンが美しいが、強奏で硬くなるのが残念だ。

 一方、日本フルトヴェングラー協会がSP盤から復刻したWFJ-43は、そのような欠点がない。

 WFJ-43で聴く演奏は、EMIの音とは違う。先ほどのDeltaと同じように、岩に染み入るような高音の美しい響きのニュアンス、柔らかくふっくらとしたダイナミクス、絹のような繊細な肌触り、けして重くならない打楽器の響き・・・すっきりとした軽やかさがある。

 CC-35は、LP用に作られたマスターなので仕方がないのかもしれないが、それにしても音の方向性がSPとは違うことに驚かされる。

 以前から感じていたことだが、フルトヴェングラーという人はいたずらに重厚な演奏や、過激な演奏をしていたわけではないと思う。WFJ-43に聴くフルトヴェングラーは、格調、高貴な精神性、そして音楽の伸縮と情熱の発露が見事に一体になった稀有な例である。

 ただ、WFJ-43はピッチがやや低く、絶対音感がある方には抵抗があるだろう。私は高音を持ち上げて聴いているのでそれほど違和感がなかったが、EMI系CDと聴き比べれば一目瞭然である。依然として、CC35-3164がベストか。

 原音回帰。できれば、EMIのセッション録音はすべて原音回帰の姿勢で復刻してもらいたい。マスターや最初期のLPに入っていない音をもはや追加されたくないのだ。デジタル・プロセスも出来る限り減らして欲しい。アナログは手作業や原音重視の心のこもった扱いによってのみ、その真の輝きを明るみにする。日フルトヴェングラー協会にはその技術もノウハウもあるのだから、ピッチの問題などはクリアしてもらいたかったものだ。

 フルトヴェングラーはおどろおどろしいから・・・という評価が変わり、一般の愛好家にとっても、優しく聴く者の心に染み入るような演奏をする人物であることが明らかになろう。


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Deltaで聴く、フルトヴェングラーの「運命」二種 [ウィルヘルム・フルトヴェングラー (cond.)]

 ベートーヴェンの交響曲第5番を「運命」なんて呼ぶのは、日本だけ。でも、これはこれで良いネーミングである。フルトヴェングラーの演奏を聴くと特にそう感じる。

 最近、フルトヴェングラーのソースを比較的良好な状態で生産的に復刻しているDeltaが、1954年のウィーン・フィルとのスタジオ録音である「運命」を世に問うた。

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 このCDはとても素晴らしいものである。このBLOGを訪れてくださる方の多くは、フルトヴェングラーにさほど関心を持たれない、広くクラシック音楽を愛好する方が多いと推察申し上げるが、このDelta盤は騙されたと思って聴いてみていただければと思う品だ(私は業者ではありません、一介の言語学者です)。もったいない話だ。

 この録音に関しては、音楽評論家兼合唱指揮者の福島章恭氏の辛辣な批評が記憶に新しい。曰く、フルトヴェングラーの演奏は音楽が持つ形式や秩序を粉砕し、泥の化け物のようにしてしまう。曰く、この「運命」も勝利の凱旋であるはずの終楽章冒頭に指揮者個人の懊悩がある。

 言い分はよくわかる。氏に同調しないこともない。従来のCDを聴いていれば!

 従来のCDは音が悪い。何と暗く、重々しく、怨念のような音なのだろう。私は確かに敬遠していた。しかし、最初期の英ALP1195から起した本CDは輝かしく、繊細、透明、優美、自在な軽やかさを持つ演奏の姿を明るみにしているのだ。そして、聴く者の心に偉大な音楽を聴いたことへのずっしりとした感銘を残していく。

 復刻に当たって、ノイズを手作業で延々と緻密に除去。余計な加工は一切していないため、演奏の真の姿が明らかとなった。Deltaでは先に出た「バイロイトの第9」と並んで優れている。

 このような良質な復刻で、フルトヴェングラーという人を聴けば聴くほど、実際には透明かつ繊細で、神々しい輝きを放つ演奏をしていた人物なのではないかと思うようになってきている。極端に過激な演奏だけがクローズ・アップされて、振ると面喰らう、と揶揄されることもあるが、それは正しくない。

 福島氏はモントゥーやトスカニーニを高く評価されているが、あの高潔で輝かしい演奏には確かに胸打たれるものがある。しかしながら、悪く言えば、それだけ。終楽章が勝利の凱旋だ、という批評もいささか一面的。ベートーヴェンの音楽はそんな単純なものではないのではなかろうか。氏の褒めるモントゥーのベートーヴェンは個人的にはいささかあっけらかんとしすぎている。

 しかし、1954年の演奏よりは、私はやはり1947年5月27日の戦後復帰演奏会三日目演奏が好きなのだ。長らく、DG盤(POCG-2362)を愛聴してきたが、物は試しとDelta盤を購入してみた。

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 これは失敗だった。野太い音で、打楽器はこもり、弦の音は金属的にぎらつく箇所がある(一楽章)。バランスも悪い。音色は温かく、その点は素晴らしいのだが、臨場感が皆無であり、終楽章のコーダの熱狂も吹っ切れない印象のままだ。もってりとしているのだ。

 いまだに優れた音質のCDがないということなのか・・・?むーん。私はMYTHOSは嫌いだし、やっぱりDGの音が良いのだろか。

 ということで、Deltaだから全て良いというわけではないのだ。音質の良いCDを見つけるのは茨の道なのじゃ。


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